青い鳥

アール・デコ挿絵本の魅力を思いつくまま

装丁されたタイムマシン 中井英夫“とらんぷ譚”

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 画像は幻想小説の鬼才、中井英夫の “ とらんぷ譚 ” 四部作です。1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)にかけて出版されました。

スリップケースに収められたハードカバーはサテンクロス装、箔押し。本文二色刷り。外箱、口絵、トビラ、さらには各短編のタイトルページにも建石修志の挿絵が入るという凝りに凝った装丁です。驚くことに、これらは限定本でも特装本でもありません。大手の平凡社による単行本で、普通に街の書店に並びました。1350~1900円と、当時としてはかなりの高額にもかかわらず一般書店で流通したということは、出版文化が現在とは違っていたのでしょうか。

たしかにこの時期、日本の出版文化は工芸的にひとつの頂点にあったといえます。湯川72倶楽部やプレス・ビブリオマーヌが愛書家向けの美しい本を出し、大手の出版社もしばしば通常版と合わせて特装限定版を出しました。しかし注目したいのはむしろ通常版の作り込みの良さです。きっと手仕事のコストが吸収できた時代だったのでしょう。店頭で装丁の美しさに惹かれて買った本もあります。ジャケ買いならぬ装丁買いですね。

とらんぷ譚 ” はマニエリスムを極めた連作短編集で、中井英夫の代表作とされています。中でもお気に入りは“  悪夢の骨牌 ” に収められた“ 緑の時間 ” で、昭和48年の夏、謎めいた優雅な女性が25年の時を遡って新婚当時の自分に会いに行く話です。戦後間もなくと高度成長期、二つの時代の風俗と心理をディテール細かに描くことでタイムトリップのリアリティを出しています。

出版からおよそ半世紀経った今、この本を手に取るとテキストの “ 現在 ” である昭和48年が遥かな記憶として甦り、主人公のさらに二倍近い年月をタイムトリップする思いがします。美しく装丁されたこの4冊は小さなタイムマシンに他ならないのでしょう。