青い鳥

アール・デコ挿絵本の魅力を思いつくまま

産院の A · E · マルティとG · ルパープ

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「現代育児学の問題と諸相」1943年刊

 

上の画像はアールデコ挿絵本の中でもかなり珍しい作品です。といっても希少というわけではありません。無記番なのでかなりの部数が発行されたはず。珍しいのはその内容で、なんと出産と育児学、それも内容からして家庭向けではなく産院や小児科医院に備えるような専門書です。

添えられた絵は正確な意味では挿絵ではありません。つまりテキストの説明ではなく、独立したビジュアルとして綴じこまれたものです。

マルティのイラストは一つ一つが絵画といってもいい完成度で、逆光にたたずむ母子像は幸福感に満ちています。ルパープのほうは挟み込みのカードで、裏面には健康の心得が載っています。一種の健康カードでしょうか。

編集者がどのような意図で専門書に当代一流の挿絵画家を起用したのかはわかりませんが、おかげでこの本は今やアールデコ挿絵本の隠れたコレクターズアイテムになっています。

印刷はカラーグラビアで、当時としてはオフセット印刷よりもはるかにいい発色です。実用書なので市場にも多く出回っていますがコンデションのいいものを選ぶようお勧めします。

" 食べかた " 二編 須賀敦子と塩野七生から

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上段 塩野七生「男たちへ」/  須賀敦子「コルシア書店の仲間たち」

中段 ルキノ・ヴィスコンティ「山猫」アラン・ドロンクラウディア・カルディナーレ

下段 レナウンダーバンCM 


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須賀敦子はエッセー「コルシア書店の仲間たち」の中で、普段付き合うインテリや庶民とは全く階層の違うV侯爵夫人の会食に招待された際の驚きを記しています。

「同席した女性たちのシックで野蛮なテーブル・マナー。それを愉しげに眺める鷹揚な男たち」に「ヨーロッパの社会の厚み、といったものを私はをひしひしと感じた」。須賀は「シックで野蛮な」マナーがどういうものか具体的には描いていません。おそらく「女性たち」が肝心で、もし「男たち」であればいくら上流の男でもただの「野蛮」になるのではないでしょうか。型通りのテーブルマナーなど無視して思うままに食べ、それでもなお優雅さを失わない様子を指しているのでしょう。

片や、塩野七生はどうやら肉食系らしく、エッセーでしばしばイイ男談義を繰り広げます。喰われるのはゲイリー・クーパーであったりカール・ルイスであったりするのですがここではアラン・ドロン

機会を得てアラン・ドロンが演じるレナウンダーバン(スーツ)のCM8年分を見た時のこと。まさに「ヨーロッパを彼は体現していた。」「彼が主演したどんな映画よりも、素敵だった。」と絶賛したあとに、ディナーシーンだけは彼のボロが出た、何一つテーブルマナーの間違いを犯さなかったためにかえって不自然で、彼が本来持っていた下層の男の魅力をも失っていた、と述べています。

と、ここまでは須賀敦子のエッセーと対をなす収まりのいい話ですが、私はどうも違和感を覚えます。アラン・ドロンが良家の出ではないことは本人も公言しているとおりですが、それをCMの出来と絡めるのはいくらイジワルが芸風の塩野にしてもアンフェアだと思うのですよ。

アラン・ドロンはただのイケメンではありません。役者、それも多くの出演作にも見られる通り相当に巧い役者です。ヴィスコンティ監督「山猫」でのパーティーシーンでは、クラウディア・カルディナーレを相手にワイルドで優雅な青年貴族をのびやかに演じています。ちなみに、それまでは荒くれガンマンのイメージしかなかったバート・ランカスターがここでは堂々たるシチリア貴族の当主になっています。

役者には演出家がつきものです。優れた役者にはそれにふさわしい演出家が必要でしょうがヴィスコンティと一介の広告マンでは比べるべくもありません。アラン・ドロンのディナーシーンに魅力がないのは、まともなフォーマルパーティーに無縁だった日本の広告マンのせいだと、少しは業界を知るイジワルな私は思うのです。

「リッチでないのに リッチな世界などわかりません・・・」という痛ましい遺書を残した天才コピーライターが思い出されます。日本がまさにバブルに向かおうとする時代の話です。

 

今日の二冊 : 須賀敦子「コルシア書店の仲間たち」2001年、白水社 / 塩野七生「男たちへ」1989年、文藝春秋

 

" トリエステ " 二編

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一編は「トリエステの坂道」須賀敦子、片や「トリエステ・国境の町」塩野七生。いずれも数十ページの短い随筆ですが、タイトルに見られる二人の視点の違いは象徴的です。
須賀敦子塩野七生はどちらもイタリアに学び、書き、イタリア人を夫に持ちました。しかしイタリアをいわば「伴侶とした」ことを除くと、この二人は見事なまでに対照的です。

 

須賀敦子     美智子上皇后を同窓会のトップにいただく女子大を卒業後、1960年からミラノに移り、この時代らしいカトリック左派が運営する書店(兼出版社)で翻訳の仕事を始めます。夫は同じ書店の編集者。ピエトロ・ジェルミの映画さながらの貧しい鉄道員の次男坊でした。須賀は一家の嫁らしく振る舞いますが、農村出身の素朴なマンマ(姑)は兄弟の中でただひとり大学を出た次男と翻訳をなりわいとする嫁を、どこか住む世界が違うと感じていたかもしれません。

夫の死後、須賀は13年のイタリア生活を終えて日本に戻ります。デビュー作「ミラノ 霧の風景」で女流文学賞を受賞するのは1991年。帰国から20年がたっていました。それはあとがきに記した『自分にしか書けないものをどのように書けばよいのか』がわかるために必要な歳月だったのでしょう。

 

塩野七生     須賀より七歳年下ですが作家としては大先輩です。1968年に「ルネッサンスの女たち」で作家デビュー。1970年には第二作「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」で毎日出版文化賞を受賞。ミラノの須賀に対し、こちらはフィレンツェとローマを拠点に数多くの歴史小説や評論、エッセーを著しています。優雅で切れ味のいい文体はファッションライターで鍛えたものでしょう。

塩野の手法はジャーナリスティックです。構想に基づく取材と現地調査。取材は生身の人間ならインタビュー、過去の出来事なら古文書との対話。そのためか交遊の範囲はとても広く、作品中に友人と記されているだけでもルキノ・ヴィスコンティや著名な政治家、娼婦、漁師の少年に至るまでバラエティ豊かです。塩野のことですから必要とあらば日比谷高校時代の、少なからず東大を経て外交官やエリート官僚になっている同級生たちを活用することにも躊躇はないでしょう。須賀の控えめで濃密な交遊関係とは対照的ですね。

 

須賀の「トリエステの坂道」は、この町で生き、この町で死んだ詩人ウンベルト・サバの足跡をたどった回想です。心の内を一つ一つ言葉に置き換えていくような文章はどこか祈りを思わせます。須賀は敬虔なカトリック教徒でした。

後半では、歩き疲れて入ったカフェでのおどろきを描いています。ウィーン帝政風の内装にくつろぐ、明らかに裕福とわかる老婦人や老紳士たちの服装や宝石には『みずからの手をよごして得たのではない、ひそやかな美しさが光を放っていた。』・・・これは富の蓄積をたとえているのであって、プロレタリア的批判をしているわけではありません。つづけて『若いころウィーンからヴェネツィアに向けてオリエント急行で(トリエステを)通過した』父親が見たら『どんなによろこぶだろうと思った』と、はなはだブルジョア的な感想を述べています。『過ぎ去った時代の、いまはわるさをしなくなった亡霊たちにかこまれて』あたたかいミルク・ティーを飲んだこのシーンは、どこか寂しげな前半とよくバランスしています。

  

塩野の「トリエステ・国境の町」は、この町で生涯を終えた、ナポレオン体制の大立者にして陰謀家ジョセフ・フーシェの葬儀の場面で始まります。冬の暴風に馬が暴れて葬列が乱れ、豪華な柩から転げ出た遺体が泥にまみれる話を引いて『もし私が(この男の伝記を)書くとしたら、この場面から書き始めるだろう。世わたりの才能だけが優れていた、しかし、その生き方に品格というものを感じさせないフーシェの伝記の書き出しとしては、最もふさわしいではないか』と記しています。まさに歴史小説家の面目躍如ですね。

後半では、敗戦によってユーゴスラビア領となったイストリア半島から引き揚げてきた婦人の話を紹介しています。二つのエピソードで、イタリア・オーストリア帝国・旧ユーゴスラビアが時代を変えてきしみ合う、国境の町トリエステの歴史と地政を鮮やかに描いて見せました。巡り合った一人ひとりの生と死に深い思いを寄せる須賀とは対照的に、つねに「国家の生き死に」を主題として歴史小説を書いてきた塩野らしい一編です。塩野はかつて徹底した無神論者を公言していましたが、近年は無神論ではなく日本式の八百よろずであると称しています。でもそれってほとんど同じでは?

 

今日の二冊 : 須賀敦子トリエステの坂道」みすず書房刊  /  塩野七生「イタリアからの手紙」新潮社刊

 

 

 

 

キングスマン:ファースト・エージェント 王道スパイアクション、マシュー・ヴォーン風味

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コロナで、おあずけを食っていたスパイアクション映画二作「キングスマン : ファースト・エージェント」と「007 /ノー・タイム・トゥ・ダイ」が昨年末にようやく公開。大いに楽しめたのは007より「キングスマン : ファースト・エージェント」のほうでした。

ショーン・コネリ- = ボンドで大人のカッコよさを知ったかつての高校生としては、過去の恋に悩むボンドなど見たくはないのですよ。美女をはべらせてシャンパン!なんてのがイマドキじゃないのはわかるけど・・・

さてその「キングスマン : ファースト・エージェント」

見どころその一、  なんといっても怪僧ラスプーチンとオックスフォード公爵の壮絶バトル。チャイコフスキーにのって、舞うような剣さばきを見せるラスプーチンに応戦する、エンビ服にパンツ一丁の公爵がケッサク。

見どころその二、  悲劇的な挿話が、のちの「キングスマン」設立の動機になったとわかって納得。このパートは重厚な戦争映画の風格が・・・

見どころその三、  英国王ジョージ5世とロシア皇帝ニコライ2世、なんだか似てると思ったらトム・ホランダーの二役だった。いとこ同士の二人は実際にそっくりで、側近もとまどうほどだったらしい。写真も残っています。トム・ホランダーは、あまり似てないもう一人のいとこヴィルヘルム2世も演じて結局一人三役です。他にも第一次大戦前後の史実をうまく織り込んでストーリーに奥行きが出ています。 

見どころその四、  老将軍役のチャールズ・ダンスがいい味出してます。この人いつ見ても将軍やってるなあ。実在したキッチナー将軍とそっくりです。

見どころその五、  公爵と息子コンラッドのファッション。毎回メンズファッションが見どころのキングスマンですが今回は礼装や軍服も多いのでバラエティ豊か。

見どころその六、  本名を名乗れない若い下士官が「ランスロットアーサー王を訪ねてまいりました」と公爵への取りつぎを願うシーン。キングスマンのコードネーム誕生の伏線に。ちなみに第一作の「アーサー(マイケル・ケイン)」と今回の「オックスフォード公爵=アーサー」は同一人物ではありませんよ。時代が100年飛んでます。

見どころその七、  ヤギの怪演。

見どころその八、  エンディングでは、のちに史実で悪のラスボスとなる若者が登場します。続編の予感が !!

 

ポリコレ縛りでなんだか窮屈になった007に対して、こちらは今回もたびたび首が落ちるせいで R 指定らしいですが、マシュー・ヴォーン監督、気にせずガンバってほしいものです。ちなみに第一作と違って首が落ちても虹色の煙が上がるようなパンクテイストはありません。

前二作とは一味違う「キングスマン : ファースト・エージェント」は、ショーン・コネリーロジャー・ムーアの007スピリッツを受け継ぐ王道スパイアクション映画です。

 

和田誠がいっぱい!

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会場に一歩足を踏み入れると、まさに和田誠がいっぱい。

グラフィックデザインだから、たくさんあっても壁に貼ればなんとか収まるのか!と、変なことに感心しながら回りました。

見終わると、いつもの展覧会とはちがう、何やらずっしりとした感慨が・・・
ボリュームのせいばかりではありません。

週刊誌、タバコ、映画ポスター、本の表紙・・・ かつて見慣れたグラフィックが改めて展示されると、まるでもうひとりの自分がスポットを浴びて人前に立っているような変な感じです。

それもそのはずで、これらおなじみの色や形は、目から入って脳の片隅で記憶と同化している点では " 我が身 " に違いありません。

映画エッセー " お楽しみはこれからだ " は今も本棚の手の届くところにあります。週刊文春の愛読者なら毎週和田の表紙を目にしたでしょう。私は吸わないけど、愛煙家なら少なくとも日に10回以上は手にしたハイライトの、ブルーと斜体ロゴのパッケージデザインは脳のどこかに刷り込まれているはずです。肺胞に残ったニコチンタール以上に、いや、たとえが悪いので言い直すと、以前に食べたステーキが今の自分の肉体に同化しているように。

これだけ多くの作品が何万、何十万と印刷されて日本中に広がったのですから、人びとはドラえもんポケモンなみに和田グラフィックを " 消化 " したはずです。しかも私の場合ほとんどの作品がリアルに同時代。だからなおさら感慨深いのでしょう。

この展覧会は先月終了しました。巡回展はないのかなあ・・・近場ならもう一度出かけたいものです。

 

 

 

 

 

 

UNIQUE AU MONDE " 一点もの " 物語 そのⅡ

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ジェラール・ドゥーヴィル著、A・E・マルティ挿絵「誘惑者」1927年、ラテンアメリカ愛書家協会刊

 

【 存在感 】    マーブル紙張りのスリップケースに収まる大ぶりの一冊。ブルーの総モロッコ装にはタイトルの箔押しすらありません。高さ30cm幅8cm、ただならぬ存在感を放っています。

元の所有者はエマニュエル・ド・ラ・ロシュフコー伯爵、アール・デコ期きっての愛書家にして「ラテンアメリカ愛書家協会」の創設者です。自らがプロデュースした第一回発行の「誘惑者」の背に、あえてタイトルなど不必要ということでしょうか。当然、記番は「1番」です。

 

【 豪華なオマケ 】     前後の見返しには3点のエッチング原版が嵌め込まれて、モロッコ革の額縁になっています。加えて水彩原画、ダブルスイート、さらには著者ジェラール・ドゥーヴィルと画家マルティの献辞、と豪華なオマケが満載。

しかしここでの注目は綴じ込まれた二つの資料でしょう。一点は著者ジェラール・ドゥーヴィル(マリー・ド・レニエ)からの手紙。二つ折りの簡易書簡に流れるようなクロスライティング(縦横重ね書き)で出版のお礼が述べられています。もう一点は「貴殿をこの会にお迎えする光栄を・・・」と記されたラテンアメリカ愛書家協会の会員証。銘によるとあの「ビリティスの歌」でバルビエと組んだ F = L・シュミットがデザインと木版を担当しています。なんとも贅沢な会員証ですね。ジェラール・ドゥーヴィル、マルティ、シュミット、ラ・ロシュフコーといった人々が紡ぎだす華やかな物語に圧倒される思いがします。

 

【 運命のオークション 】    ある日、いつものようにオークションのチェックをしていた私は目を疑いました。出るはずのないものが出ていたからです。 A・Eマルティの最高傑作、しかも「1番」。コレクターなら絶対に手放すことのない作品です。少なくとも生きているうちは。そう、おそらくは代替わりで市場に出たのでしょう。ということは今回を逃せばもう二度とこの作品を見ることはないはずです。不安なのは出品者がパリの有名古書店ではなく、聞いたこともない田舎の書店であること。しかし掲載された多くの画像とオークションの保証システムを信じて入札することにしました。

当代きっての挿絵本コレクターである鹿島茂氏が所蔵する「誘惑者」は元ロベール・ド・ロスチャイルド男爵所有の48番。爵位も記番もこちらの方が上、という下品なコレクター根性が背中を押したことは言うまでもありません。

 

【 C 級書店の謎 】   貴重なものほどスムースには届かないというジンクス通り、お決まりの税関トラブルなどを経て無事に書架に収めたあと、私はここに至るまでの経緯をいろいろと調べてみました。出品者は、パリから300キロも離れたフランス中西部の田舎街ジョンセの古書店です。まわりを田園に囲まれたのどかなところです。この書店、ネットカタログを見ると規模こそ大きいものの文学書に混じってスポーツ雑誌も扱うようなC級店で、どう考えても希少本を仕入れて扱うような格ではありません。

 

【 点と線 】    ネットって便利ですね、さらに調べていくと不思議なことがわかりました。このジョンセから東へ約50キロに広大なブリンヌ自然公園があり、その中にミニエという村があります。小道に数件の建物があるだけの小村です。ストリートビューって便利ですね。ここにラ・ロシュフコー伯爵の孫にあたる、その名も同じエマニュエル・ド・ラ・ロシュフコー氏が不動産会社を登記していました。この会社は2017年に登記を抹消されています。さて、ファクト(事実)はここまでです。

 

【 謎解き 】    書店のある田舎街ジョンセとミニエ村は50キロを隔てるとはいえ、間には森と牧草地しかない隣同士です。所有者の孫とその蔵書を扱った書店が無関係とは考えられません。またパリの名門ラ・ロシュフコー家が遠く離れた田舎村で不動産の商売をするはずもありません。この会社はおそらく不動産取引のためのもので、屋敷か城の売却が済んで登記を抹消されたのでしょう。この「誘惑者」はその際、家財とともに近隣の業者に売却を任されたのではないでしょうか。

 

【 新会員 】    古書店を介してとはいえ、推測通りであれば私はこの作品をラ・ロシュフコー家から直接引き継いだことになります。そこで私は 「この記番1番の挿絵本と会員証は、時空を超えて他ならぬラ・ロシュフコー伯爵から譲り受けたものである」と解釈し、ラテンアメリカ愛書家協会の136番会員を名乗ることといたしました。まあ所有者であればこれくらいの妄想は許されるでしょう・・・    おわり

 

懐かしい未来デザイン in 大谷記念美術館

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令和3年の展覧会めぐり、〆は大谷記念美術館の喜多俊之展。いつもはボローニャ国際絵本展などでおなじみの美術館で、企業イメージの強いプロダクトデザインの展覧会というのがちょっと不思議。

喜多俊之は日本とイタリアで活躍するプロダクトデザイナーです。今回は1980年~90年代の仕事が中心で、多くの作品はすでにレトロフューチャーの趣を漂わせています。椅子やカトラリーといった長い寿命を持つデザインに比べて、エレクトロニクス製品はテクノロジーの進歩とともにあっという間に資料的オブジェと化してしまうのは宿命かもしれません。

クライアントであるカッシーナやトーネット、シャープ各社の持ち味を生かしながら、随所に喜多らしさが見られるのはさすがに現代のプロダクトデザインです。かつての柳宗理のような作家色の強い製品群とは対照的ですね。

この大谷美術館、ロビーやカフェからよく手入れされた庭園が見渡せる気持ちのいい美術館です。公益財団法人の運営ですが、その成り立ちのゆえか個人美術館のよさを感じさせます。