青い鳥

アール・デコ挿絵本の魅力を思いつくまま

" 細野観光 " の観光客

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カメラ目線で前髪パッツンの男の子。このモノクロ写真をポスターに選んだ時点で、展覧会「細野観光」のプロモーションは大成功したしたようなもんです。だって、人口のボリュームゾーンたる団塊のジジババたち数千万人は、みんな自分のアルバムをのぞき込んだ気がするはずですから。私を含めて・・・

「細野観光」は細野晴臣といういささかシュールなミュージシャンがよく分かった気になる不思議な展覧会です。なかでも印象深いのは、幼いころのおもちゃがていねいに保存されていること。そのこと自体がHAPPYな人生を彷彿とさせます。音の出るおもちゃ、つまり楽器が多いのはさすがです。

アーティストは普通、作品で勝負するものですが、こんな風に本人の存在自体がアートと化したら無敵ですね。美術ではさしずめ横尾忠則あたりかな、文学では最近肩の力が抜けてきた村上春樹もそろそろお仲間入りかもしれません。

アーティストならぬ身でもそうありたいとは思うのですが、努力してなれるものでもありません。道教ではそういうのを「仙人」と呼ぶそうです。

 

UNIQUE AU MONDE " 一点もの " 物語

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ド・ビラン著、A.E.マルティ挿絵「愛のしずく」1954年、著者刊。

 

結局、蔵書自慢になりますがなにとぞご容赦を・・・

さて、アール・デコ挿絵本の多くは限定出版で、一冊ごとに「記番」つまりシリアルナンバーが振られています。とはいっても例えばマルティ挿絵「青い鳥」の2869番と5040番との間に実質的な違いがあるわけではありません。ところがこれがひとケタの記番ともなると様子は変わってきて、まず上位限定の紙(多くの場合和紙)に刷られ、ダブルスイート(挿絵の刷り増し)やさらには原画が付くこともしばしばです。原画は当然一点ものですからその時点でこの本はユニコモンド(この世に唯一の物)としての価値を持ち始めることになります。

ひとケタがあるからには当然1番もあるわけで、ここまでくるとそもそも発行前から購入者は決まっていて、オマケのほうも原画に加えて著者や挿絵画家の献辞などといったレア物になってきます。もはや挿絵本というよりは本の形を借りた著者、挿絵画家、装丁家のコラボによる美術作品と化し、まさにこの世にただ一つの「もの」として輝き始めるのです。さらに美術品の常として背後に様々な物語を秘めることも稀ではありません。

画像はA.E.マルティ挿絵、ド・ビラン著「愛のしずく」の記番1番。リトグラフによるマルティの挿絵が暗い詩情をたたえた名作です。光沢のある和紙刷り、鉛筆デッサンの原画、マルティとド・ビランの献辞、さらには著者自筆の詩の一節、と豪華なオマケが満載です。装丁も漆黒のモロッコ革、背にタイトルと著者名のみというストイックなジャンセニスト装に三方金。見返しは一転して、黒+白革の額縁に金とプラチナの箔押し、スミレ色のサテン生地張り。エレガントこの上ないデザインですがどういうわけか装丁家の銘はありません。

この「1番」、私はドイツの書店から購入しましたが、実はその数年前にピエール・ベルジェの名を冠したオークションに一度姿を現しています。ピエール・ベルジェといえばサンローランの公私にわたるパートナーとしてモードの帝国を築き上げた立役者ですが、二人で集めた莫大な美術コレクションをオークションで売りたてる様子はドキュメンタリー映像でも紹介されました。さて、ファクト(事実)はここまでです。

この一冊がサンローラン所蔵であったという証拠はありません。著者の献辞も彼宛てではありません。そもそも時代が違います。いっぽう、ベルジェのオークションに出たからには無関係との断定もできません。これほどの装丁に銘がないのも不思議です。仮綴じで入手した「1番」をサンローラン自身がディレクションして職人に装丁させたと考えればわかります。いかにも彼好みのデザインです。

すべてはファンタジーですがこんな妄想を可能にさせるほど、この「1番」の持つオーラは圧倒的です。

 

 

「アール・デコ挿絵本」の本 Ⅱ フジタとマルティ

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画像左から「藤田嗣治と愛書都市パリ」「藤田嗣治 本の仕事」「Marty! Marty! 1, 2」

 

挿絵本に限らないでしょうが、コレクションの最終盤では色々なことが起こります。テンパイ状態(あと一点)からなかなか最後の一作品に行き当たらなかったり、未知の作品が突然出現したり。これもコレクションの醍醐味ではありますが。

私の場合はマルティの挿絵本をあらかた集めつくした頃、なんと神秘主義の宗教書(マルティ挿絵)なるものがオークションに現れて驚きました。またバルビエの「ビリティスの歌」は有名なコラール版とは別に、もっとエロティックな秘密の私家版があることを最近知りました。研究書や作品解説書のあまりない挿絵本の場合はまさに手探りで進むしかありません。

同時代のキュビズムシュールレアリズムの画家と違って挿絵本画家やイラストレーターは研究対象ではなく、目で ” 消費 ” するものとされているのでしょう。バルビエやミュッシャは今でもポストカードになって " 消費 " され続けています。それはそれで幸せというべきでしょう。

フジタの場合も、画家としての研究書はあっても挿絵本はあまり取り上げられていません。画像左の二冊はともに希少なフジタ挿絵本の解説書です。中でも「藤田嗣治と愛書都市パリ」は北海道立近代美術館松濤美術館の展覧会図録として発行されたもので、有名作品の復刻ページなどは画集としても見応えがあります。フジタの挿絵本の仕事はこの二冊に網羅されていると言っていいでしょう。

一方画像右はマルティ愛好家、秋津久仁子さんの私家版です。内容は各号ともに二部構成で、前半は著者が独自に入手したマルティの手紙や手記を訳出したもの、後半はお気に入りの作品紹介で、いずれも随筆の形式をとった解説書となっています。中でも前半は、世界中でここの日本語でしか読めない貴重な資料で、マルティの挿絵画家としての考えや挿絵本ビジネスの一端を知ることのできる興味深い内容です。出版元の水仁舎と神戸の1003booksでも取扱いがあり、続編も予定されているようです。

挿絵画家の場合、既成のイメージが出来上がっていない分、さまざまな資料から人物像を想像する楽しみがあります。

 

 

 

今日の四冊 : 林洋子「藤田嗣治と愛書都市パリ」2012年 ㈱キュレイターズ刊 、「藤田嗣治  本の仕事」2011年 集英社刊  /  秋津久仁子「Mart ! Marty ! 1」2020年 、「Marty ! Marty ! 2」2021年 ともに水仁舎刊

 

" SASSA YO YASSA 日本の踊り "           ベルンハルト・ケラーマン 

      

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明治41年の夏、一人の作家が丹後の宮津を訪れている。古来宮津は、都の海への玄関口として栄えたが、当時もその面影は色濃く残っていた。作家はよほどこの地が気に入ったものと見えて暫く滞在し紀行文を残している。

と、松本清張風に始めてみましたが、あとが続かないので普通にもどします。作家の名はベルンハルト・ケラーマン。さすがに売れっ子作家だけあって、書き出しの夏の夕暮れ、宿を出て舟で茶屋に向かう情景はまるで清親の版画が動き出すかのように印象的です。

このあとお気に入りの芸者の様子やお座敷踊りの解説などが、同行した画家カール・ヴァルザーの挿絵付きで続きます。この作品で特に興味を惹かれるのはケラーマン自身がこのお座敷遊びをとても楽しんでいることです。というのも、明治期日本を訪れた西洋人の多くは日本の美術工芸や風景については言葉を尽くして褒める一方、日本の楽曲には戸惑いと嫌悪感を見せているからです。

旅行家イザベラ・バードは「またも楽器があの恐ろしい不協和音をギーギーピーピーと奏で・・・私にとって東洋の音楽は苦悶を伴う謎です。」、東洋美術のコレクター、エミール・ギメは「押しつぶされた猫のように歌い、小鼓が吠え、三味線は胸を引き裂くような音を発する。」とそれぞれに残しています。西洋の音階とかけ離れているうえ、琴や三味線の音色も馴染めなかったのでしょう。おもしろいのは二人とも、聴いたこともない古代ギリシャの音楽を引き合いに出していることです。彼らにとって邦楽は古代ギリシャ並みに近代西洋からかけ離れた超異文化体験だったようですね。

一方、お座敷遊びにどっぷりはまったケラーマンは、恋愛小説の稼ぎを宮津の街で散財し、機嫌よくドイツに帰っていきました。そのあと「日本散策」と「SASSA YO YASSA 日本の踊り」を出版して少しは取り戻したかもしれません。

この作品はドイツ文学者田中まりさんによる、とても読みやすい翻訳で「宮津SASSA YO YASSA実行委員会」から発行されています。非売品のようですが興味ある方は検索してみてください。

年代物の耳とオーディオ

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32年ぶりにオーディオのアンプを交換しました。ここしばらく音楽から遠ざかってるなあ、システムの音のせいか?あるいは自分の耳の劣化かな?とチェックをかけたところ、年代物のアンプが原因と判明した次第です(もっと年代物の耳のほうはまだ大丈夫 !? )。音色は気に入っていたので、結局同メーカー同シリーズの後継機を選びました。

アンプを30年以上放置していたのだからオーディオマニアとはいえませんが、いい音で聴きたいのと多少モノマニア(物マニア)でもあるので、選定には気を使います。システムの基本はROGERS LS5/9という今はなきメーカーのスピーカーで、これも30年ものですが、5年前にオーディオ・ラボ (小川電器) でオーバーホールしていっそう快調になりました。見かけは地味なブックシェルフですがとても高音質で、BBCのスタジオモニターという素性も気に入っています。最近別のメーカーが同じ型番でレプリカを発売しました。

アナログプレイヤーはジャッケトサイズ、リニアトラッキングの名器SL10。当時オーディオに力を入れていたテクニクスパナソニック)渾身のプレイヤーです。この機種のために開発したプラグインのカートリッジが世界標準になってしまうほど、日本のエレクトロニクスが世界をリードしていた時代です。そのデザイン性からMOMAの永久保存にもなっています。ピュアなアナログオーディオファンなら別のプレイヤーを導入するでしょうが、この機器が持つストーリー性は抜群です。

そのほかの機器、D/Aコンバーターやらパソコン(これもオーディオ機器)は日進月歩なのであまり思い入れはなく数年に一度は交換します。

オーディオシステムの試聴にはいくつか決まった音源を使います。新録音ではありません。新録音の音がいいのは当たり前なので試聴にならないのです。よく耳になじんだ音源がどのように聞こえるかで、そのシステムの性質がよくわかります。

今回のアンプ、ピアノとヴォーカルはとても満足です。ローズマリー・クルーニー姐さんは広がりのあるコンコード・ジャズ・オールスターズをバックにして真ん中に立っています。ディスタンスは十分です。

モーツァルトピアノソナタスタインウェイをのぞき込むような音がします。内田光子が目の前で髪を振り乱しているようです。少し怖いです。

ジョシュア・ベルと後藤龍のヴァイオリンは高音がまだきつい。エージングを待つか、D/Aコンバーターとのバランス接続でも試してみるかな。

「 装飾は罪悪である 」アドルフ・ロース

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上段:カフェ・ムゼウム外観 / 下段左から:ロースハウス階段、ヴィラ・ミューラー(2点)、ヴィラ・カルマ(2点)   

 

芸術家の言葉は額面通り受け取れないものが多いですね。アドルフ・ロースは20世紀初頭ウィーンで活躍した建築家、インテリアデザイナーです。タイトルの言葉は当時流行った " 金ぴかウィーン " へのアンチテーゼとして発したものでしょう。しかし現代の目で見ると、大理石や鏡、モザイクタイルなどの素材感を生かしたロースの " 装飾性 " はとても魅力的です。

リアルにロースのインテリアを味わったのは、大幅に改装されてしまったカフェ・ムゼウムだけですが、画像から想像してもケルントナー・バー(現ロース・アメリカン・バー)のカウンターで飲むマティーニは格別だろうし、ロースハウスの鏡張りの階段は通る人の高揚感が伝わってくるようです。ヴィラ・カルマやヴィラ・ミューラーに見る、変化に富んだ空間と程よい非日常性は住む人を心豊かにしたことでしょう。

建築史的には後期のモダニズム建築での評価が高いロースですが、もし彼が現代にいたら、その贅沢な素材感と快適な空間は、ブティック、ホテル、ファッションモールなどから引っ張りダコだったでしょうね。

私が時空を超え、ついでに予算など忘れて自邸の設計を任せるなら、ル・コルビュジエでもフランク・ロイド・ライトでもなくぜひアドルフ・ロースにお願いしたいものです。妄想・・・

 

ポショワールの謎 その2

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 上段 : ピエール・ド・ロンサール「マリアの恋歌」マルティ挿絵 / 下段 : 挿絵の別刷りと試し刷り二点。

 

前回、挿絵のカラー部分はポショワールと木口木版の組み合わせらしいと見当をつけました。今回は線画が刷られたグラシン紙を見てみましょう。それにしても何ゆえグラシン紙?ヒントは四隅のトンボ(見当合わせの目印)と糊痕です。どうやらこのグラシン紙は、カラー版の版木や厚紙に貼って版を彫っていく校合摺りだったと思われます。浮世絵と同じ技法ですね。本来なら貼ったまま彫られてしまうのですがなぜか残ったようです。

刷り上がりの線画を見てみましょう。非常に細かいペンタッチが再現されています。木口木版で彫り起こすには無理がありそうです。おそらく写真製版による線画凸版でしょう。色数分を刷りあげて、校合摺りとして使ったと思われます。

それではここで挿絵作成の手順をおさらいしてみましょう。

1.  マルティが描いたペン画をもとに写真製版で凸版を作成し、色数分の校合摺りを作る。

2.  マルティの水彩画をもとに色を仕訳し、広い色面はポショワール、細かいディテールは木口木版で版を彫る。

3.  ポショワールの色版、木口木版の色版、線画凸版(墨版)の順で刷り重ねる。

これが、水彩画のように美しいこの挿絵の秘密です。これで(一挿絵当たり10数色の版) X (一作品当たり30点に及ぶ挿絵) = 数100点、の版を作り、2000部を刷り上げるのですからさぞ大変だったでしょうね。浮世絵の場合は彫師と刷師二人による職人芸ですが、挿絵本の場合はシステム化をしてマンパワーを投入する必要があったはずです。おそらくこれがカラーオフセットの進歩とともにポショワールが消え去った理由でしょう。

まるで見てきたような話をしてきましたが、この三点の資料と「マリアの恋歌」の奥付けから推論してみました。同じような技法はマルティ中期の大型挿絵本「雅歌」や「三つの物語」にも使われています。