青い鳥

アール・デコ挿絵本の魅力を思いつくまま

アールデコの女王 タマラ・ド・レンピッカ

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ポートレートはタマラ自身。自分がポーズするほうが好きだった?

近現代の絵画史を一文で教科書風にまとめると「19世紀、新古典派とロマン派のせめぎ合いの後、印象派が台頭し、20世紀に入ってキュビズム、フォービズム、シュールレアリズム、抽象派が活躍する。」となります。かなり駆け足ですが。

もちろんこれは、現代から振り返った歴史、つまり現代美術にとって重要な事柄だけを再構成した絵画史です。それぞれの時代に人気のあった画家を素直にたどると様相はまた違ってきます。

特に20世紀初頭は、" イズム " に関わりのないエコール・ド・パリと呼ばれたフジタやヴァン・ドンゲン、そして「よくこなれた」フォービズムの体現者アンリ・マティスが人気者でした。タマラ・ド・レンピッカモーリス・ドニに学んだ後アンドレ・ロートから「こなれた」キュビズムの教育を受けてはいますが、” 女流キュビスト ” よりは ” アールデコの女王 ” のほうが呼び名にふさわしいでしょう。

好んでファッションアイコンを演じ、高名な老詩人ダヌンツィオを手玉にとったりしたので社交界の華のイメージが強いですが、ポーランドからの亡命者で出自はあまりわかりません。本名のマリア・ゴルスカをタマラに変え、夫のレンピッキ姓との間に " ド " を入れてエキゾチックでノーブルに仕立てたのかもしれません。のちにはクフナー男爵と再婚し晴れて男爵夫人になりました。

社交好きでファッショナブルだった点でフジタと似ていますが、面白いことにどちらもパーティから帰った後に何時間も仕事をしたというエピソードが残されています。当時タマラのもとにはセレブからの肖像画の依頼が殺到していました。たしかにドラマ ” 名探偵ポワロ ” に出てくるような最新のアールデコ邸宅にこれほど似合う絵はありませんね。

しかし彼女を単にオシャレな流行画家とみることはできません。ファッショナブルな意匠を透してモデル(多額の謝礼を払う側)の持つ孤独、高慢、時には狂気さえも容赦なく描き出しているからです。宮廷画家でありながら王族の内面を鋭く描いたヴェラスケスやゴヤと同じ、辛辣な ” 眼 ” を彼女も持っていたのです。目立ちたがり屋のセレブの中に、表現者としての強い魂が宿っていたことは間違いありません。