青い鳥

アール・デコ挿絵本の魅力を思いつくまま

" SASSA YO YASSA 日本の踊り "           ベルンハルト・ケラーマン 

      

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明治41年の夏、一人の作家が丹後の宮津を訪れている。古来宮津は、都の海への玄関口として栄えたが、当時もその面影は色濃く残っていた。作家はよほどこの地が気に入ったものと見えて暫く滞在し紀行文を残している。

と、松本清張風に始めてみましたが、あとが続かないので普通にもどします。作家の名はベルンハルト・ケラーマン。さすがに売れっ子作家だけあって、書き出しの夏の夕暮れ、宿を出て舟で茶屋に向かう情景はまるで清親の版画が動き出すかのように印象的です。

このあとお気に入りの芸者の様子やお座敷踊りの解説などが、同行した画家カール・ヴァルザーの挿絵付きで続きます。この作品で特に興味を惹かれるのはケラーマン自身がこのお座敷遊びをとても楽しんでいることです。というのも、明治期日本を訪れた西洋人の多くは日本の美術工芸や風景については言葉を尽くして褒める一方、日本の楽曲には戸惑いと嫌悪感を見せているからです。

旅行家イザベラ・バードは「またも楽器があの恐ろしい不協和音をギーギーピーピーと奏で・・・私にとって東洋の音楽は苦悶を伴う謎です。」、東洋美術のコレクター、エミール・ギメは「押しつぶされた猫のように歌い、小鼓が吠え、三味線は胸を引き裂くような音を発する。」とそれぞれに残しています。西洋の音階とかけ離れているうえ、琴や三味線の音色も馴染めなかったのでしょう。おもしろいのは二人とも、聴いたこともない古代ギリシャの音楽を引き合いに出していることです。彼らにとって邦楽は古代ギリシャ並みに近代西洋からかけ離れた超異文化体験だったようですね。

一方、お座敷遊びにどっぷりはまったケラーマンは、恋愛小説の稼ぎを宮津の街で散財し、機嫌よくドイツに帰っていきました。そのあと「日本散策」と「SASSA YO YASSA 日本の踊り」を出版して少しは取り戻したかもしれません。

この作品はドイツ文学者田中まりさんによる、とても読みやすい翻訳で「宮津SASSA YO YASSA実行委員会」から発行されています。非売品のようですが興味ある方は検索してみてください。